【SM論】
引き続きSMの話題です。
セックスの相手をさがすより、SMの相手をさがす方が、より簡単にいい女にぶつかる可能性が高い、という感触が、私にはあります。
セックスパートナーの場合、あなた自身が、どんなルックスか、金はもっているのか、といった俗な属性によって判断されます。
SMの場合は、SMのパートナーとしてしっかり機能してくれるかどうか、という点が最もプライオリティの高い判断基準になります。
SMのパートナーとしてしっかり機能するためには、まずSMの機微を知る必要があります。
なんでもそうですが、物事は、実践と座学の両輪で習得していく必要がある。
SMにおける座学とは、SMのイマジネーションをもつということですが、これは、「SM論」と「SM小説」がいいテキストになるでしょう。
SM論や小説、体験談はネットでもたくさん出てきます。
ネットの性質としてもちろん玉石混交ですが、ちょっとググってさがしてみてください。
例えば、「男と女のSM論」と云う記事。
「かなり以前に読んだのであまり正確じゃないけど、私がリスペクトするイラストレーターみうらじゅんによると、
「人間というのは、その人の傾向として必ずS体質の人とM体質の人に分けられ、男と女がつきあう場合、どちらがSでどちらがMかは別として、SとMの組み合わせでないとうまくいかない。
例えば、自分はどうやらMだという自覚がある場合、「コイツいいな」と思う相手がいたならナニゲを装いSかMかを問いただせ!「エーアタシはMかナア~」なんつって同じ体質だったりしたら、迷うことなくつきあうことはあきらめろ。
時間のムダだから。
MとM、SとSの組み合わせはつきあうだけムダ!結局はうまくいかない相性ナノダ!」
ということらしいのだ。
みうらじゅんという人はかなり思いつきで極論吐く人なので(そこがめちゃくちゃおもしろいんだけど)話の正否は別として、これはわたし的にかなりグッとくる説だったワケです。
これ飲みの場のネタとしてはかなりイケてるのでは?!というワケで、その当時毎日のように一緒にいた仲間と酒飲みつつこの説を披露したところ、みな自分の過去の体験振り返りつつ、「うーんあながちまちがってないかも」なんて結構好感触。
「オレはMだな!」、「アンタはSだ!!」と自分勝手に盛り上がったものです。
私は自分がどっちなのか、自分のことながらよくわからないけど、友人Tによると「アンタはぱっと見Mと見せかけて実はSと見せかけて結局Mだ」だそうで、これまたなんだかよくわからないよ。
攻撃的なSと、受け身のM。
Sは自分勝手な言動で相手を振り回し、Mはひたすら耐えて相手に尽くす。
そういう意味で言うなら普段私がやっていることはどう考えてもSだと思う。
そして、SとMで一見強い立場にいるのは当然Sだけど、自分を振り返りつつ思うのは、本質的にどちらが強いかと言ったら実はMじゃないかということです。
Sが自分勝手な行動で相手を振り回しても、それはMがそれを受け入れ耐える前提あってこそ。
Mが耐えるのをやめた時、二人の関係も終わるのです。
つまり、最終的な決定権は実はMにある。また、Sは一見相手の気持ちおかまいなし、自分イノチの女王様(もしくは王様)に見えるけど、その行動の裏には常に「相手の気持ちを確かめたい」「相手の反応で自分に対する愛を計りたい」、そんな本心があるのです、いやマジで。「それでも私のことが好き?」という不安。
コレ!これこそがSの本質だよ。不安と隣り合わせな強気。それがSなのです。
対してMは、一見自分がないというか自分の気持ちを押し殺してるように見えるけど、実はSより自分をしっかり持っていると言えるよ。
相手のいいように振り回されても、自分が相手のことを好きでいる間はひたすら耐える。
自分の行動の基準が相手ではなく自分の中にある。
つまり、相手の気持ちを確かめたいSとは根本的に違い、よって立つものが自分の中にあるんだよ。コレがM。
結局、人間的に強いのはM!立場上強いのも実はM!これが私の持論です。
表面上強くて実はもろいSと、表面的には弱いが実は強いM。言い換えるなら、振り回して愛を確かめるSと、耐えて愛を証明するM。
どっちがSでどっちがMだとしても、これはやはり男と女の関係性としてはかなり相性良いのでは。
そういう意味で言うならみうらじゅんの説も、わたし的にはかなり共感できると思うワケです。 」
なにこれ、単なるSMをネタにした血液型診断みたいなもんじゃん?
そうなんですね。
でも、SM論って堅苦しくじゃなくて、このレベルで話題にできることが重要で、つまり飲みの席から、ベッドへと直結する、軽い前フリとして、このレベルのSM論をぶてる程度にSMを理解してるってことがまず第一歩となるわけです。
こうした「SM論」はネット上に溢れていて、個人のブログなんかでも人気ネタになってます。
「一般的に
S:人をイジって喜ぶイジりキャラ
M:人にイジられて喜ぶイジられキャラ
だと思っている人が多いのではないだろうか。
わたしもそう思っていた。
でも考え方によっては全く逆の可能性もあるのだ。
つまりSは人にイジられて喜ぶイジられキャラ、Mは人をイジって喜ぶイジりキャラ、ということだ。
どういうことかというと、イジりキャラの人は、相手をイジってあげて相手を喜ばせてあげる、すなわち相手に奉仕している。
逆にイジられキャラの人は、誰かがイジってくれるのを待ち、イジってもらって喜ばせてもらう、という受身の態勢で、奉仕される側である。
ということは、今までわたしがSだと思っていたイジりキャラの人は、じつは相手に奉仕しているMであり、今までわたしがMだと思っていたイジられキャラの人は、じつは奉仕されているSであるかもしれない、ということなのだ。
例えば今まではSの人がMの人を虐めるものだと思っていたが、その虐めるという行為だって深追いすれば
虐める側:相手を虐めることによって相手を喜ばせる=虐めてあげる(奉仕する)、喜ばせてあげる(奉仕する)=虐めてさしあげる、喜ばせてさしあげる=虐めて差し上げますので喜んでください!=M
虐められる側:相手に虐めてもらって自分が喜ぶ(奉仕される)=もっとわたしを虐めて!喜ばせて!=ほらほらもっと虐めるのよ!喜ばせるのよ!=もっともっと!オラオラオラ!!!=S
という風に考えることも出来るのではないか。
だけどこれはあくまで奉仕をする、されるという部分にだけ焦点を絞った話である。
こんなことだけで片付けられるほどSMの世界は浅はかではないことは重々承知している。
ちなみにわたしは相手によってSとMを使い分けることが出来る、よくできた女である。
しかし心の中では「あんたに合わせてやってんのよ。ありがたく思いなさい!」などとと思っているからSなのかもしれない。
だがその一方で、その心理を追求していくと
相手に合わせてやってる=相手に合わせてさしあげてる=あなたに合わせさせていただきます=あなたのためだもの=合わせさせてくださいお願いします=奉仕=M
である可能性もまた否定出来ないのだ。
うーん、やっぱり奥が深い…。
この記事を書くにあたって“SM”“奉仕”“サド”などといった言葉をGoogleでたくさん検索した。
うっかり両親がわたしのパソコンの検索履歴を見たりしたら卒倒するだろう。
上記の文章は、全て日常生活の中での絡みや会話のやり取りに関するSMの話である。
性行為的な意味でのSMの話になると、もっとSとMの区別がわかりやすくなる。」
おもしろいですね。
それぞれが自分の頭で考えるってのが重要で、SMプレイヤーとして機能するってのは、なかなか奥が深いスキルと言えそうです。