【フロー体験】
さて、気持ちのいい射精を!ってのがこのコラムサイトのテーマなのですが、じっさいオナニーでもセックスでも、その時々によってほんとうにその快感の度合いって違いますよね。 体調の問題もあるでしょう。 精力の問題もおおいにあるでしょう。 でもそれだけじゃない。 セックスの場合は相手の女の子との関係性もあるでしょうね。 風俗で金を払ってやってるのか、恋愛中の相手なのか、それから、初めてなのか、馴染みなのか。 相手の女の子の容姿や、性器の具合もあるでしょう。 それら複雑な変数が組み合わさって、「めっちゃ気持ちいいわぁ」という時と、ほとんど排尿に近いようなしょぼくれた快感でしかないようなときとに分かれます。 さて、その「めっちゃ気持ちいいわぁ」という体験のことを、「フロー体験」と呼ぶそうです。 チクセント・ミハイというロシアの心理学者が、この「フロー体験」について研究しているのですが、ここからは気持ちのいいセックスをするためのヒントがたくさん汲み取ることができそうです。 のチクセントミハイの研究の中核をなす「フロー体験」とは、自分自身の「心理的エネルギー」が、100%、今取り組んでいる対象へと注がれている状態を表します。 いいでしょうか。 つまり、集中力が問題になるということです。 この状態が満たされるためには、以下のような要素が必要となってきます。 1.自分の能力に対して適切な難易度のものに取り組んでいる。 取り組んでいる内容が、自分の能力と照らしあわせて難しすぎず、簡単すぎずであり、全能力を出しきることを要求されるレベルにあること。 そして、それをやり通すことによって、その自分の能力が向上するような難易度であること。 そう、たとえばちょっと無理目な女の子をなんとか口説き落としてようやくベッドイン、なんてときのあの高揚感は、この難易度のレベルが高いことからくるある種の達成感のようなものだと考えられます。 ただし、そこで「あまりに難易度が高い=萎縮してしまう」と、せっかくのフロー体験もだいなし。 下手をするとED、早漏、中折れなんてことにさえなりかねませんから、ちょっと無理目な女の子を落とすことができたら、はやる自分の心身を抑えて、あえて鷹揚に構えることが必要ということになります。 2.対象への自己統制感がある 取り組んでいるものに対して、自分がコントロールができるという感覚、可能性を感じていること。 例えば、F1のレーサーが、自分の車を思い通りにコントロールでき、自在に操ることができるような感覚もこれに当てはまるし、ギャンブルをする人が、運頼みではなく、自分の頭を駆使すれば、きっと儲けることができるに違いないと思い込んでいる状態も、これに当てはまる。 そう、これ、わかりますよね。 自分が相手の女の子を思いのままに感じさせていると感じることが重要ってことです。 だから、自己統制感を削ぐ、ED、中折れ、早漏、遅漏は、フロー体験にとって大きな障害となるというわけです。 3.直接的なフィードバックがある 取組んでいることに対して、即座に「それは良いか、よくないか」というフィードバックが返ってくること。 例えば、テニスのプレイであれば、いい球が打てたかどうかがすぐに音や感覚で分かり、文章を書いているときであれば、自分自身の感覚でよい一節になっているかが分かるなど、自分の内面的感覚で良し悪しが即座に分かることがこれに当てはまる。 はいはい、セックスにおいて「感じやすい女」が好まれるのは、もちろんそういった事情です。 マグロ女より、こちらの指や舌づかいに応じて「あんあん」感じてくれる女の子とやっている時の方が、こちらの集中力もたかまっていきます。 4.集中を妨げる外乱がシャットアウトされている 取組対象以外のことが自分に降り掛かってくることがなく、対象にのみ集中できること。 例えば、自分が文章を書くことに集中しているときに、同僚から声を掛けられてそちらに意識が発散するようなことがないことがこれに当てはまる。 ああ、これ。 ま、だいたいセックスは密室でやりますけどね。 これはあれですね。姑や子どもと同居している夫婦とか、住宅事情の悪い日本家屋では、問題になり得るかも。 さて、これらの要素が満たされると、自分の「心理的エネルギー」は、よどみなく連続して、100%その対象に注ぎ込まれるようになり、これによりとてつもない集中と、楽しい感覚が生み出されます。 このような状態を「フロー体験」と呼び、この状態にある間、人は時間の流れを忘れ、ひたすらそのことに没頭し、得も言われぬ高揚感に包まれるというわけです。 では、なぜこれが幸福感につながるかと言えば、これによって自分自身の複雑性が増し、それが成長につながるためです。 「フロー体験」をしているとき、人は自分自身の能力を最大限に発揮し、自分にとって最も心理的エネルギーを発揮して取り組むため、そのプロセスを通して、自分の能力そのものと、より複雑なものへと取り組む力が向上し、この繰り返しを行うことによって、自分が成長していき、それが積み上がっていくわけです。 これに対して、快楽を追求するようなこと、例えばお金をかけて娯楽を楽しむといったような行為は、気持ちをリセットしたりするのには有用だが、それ自体は自分自身の成長をもたらすことがなく、長期的に幸せに貢献することはありません。 いいでしょうか。 ここが重要なところです。 フロー体験に至るような気持ちのいいセックスは、ただの刹那的な排泄行為とは全く違って、それ自体自己の成長にまで結びついた充実した体験になり得るというところなのです。 それはただの消費的な娯楽ではない。 本来、真からの癒しを含んだ、充実した体験になりえるものだ。 ただの消費行為でしかないようなセックスをくりかえしていると、この充実が削がれてゆきます。 よく女の子が「私の体目当てだったのね」と怒るのは、せっかく充実体験となりえたこのセックスを、あなたはただの娯楽体験に貶めてしまった!ということへの怒りだと思えば、なるほど共感もできます。 精力剤でビンビンになっても、それだけでは最高に気持ちのいい射精はできません。 フロー体験を召喚するような、相手への集中が何より重要なのです。